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不動産雑話、身辺雑話、休憩室 etc...

1. 日本に存在しない?共有名義  
2. 足が震った話  
   
   

<日本に存在しない?共有名義>

「テナント・イン・コモン」と「ジョイント・テナント」日本語に訳せば、どちらも「共有名義」だが、両者の内容は異なる。他人同士が不動産を共有名義にする場合はテナント・イン・コモンが一般的だが、夫婦間や親族間での登記の場合は、圧倒的にジョイント・テナントの方で記される。実はこのジョイント・テナントという登記方法は日本に存在しない(と思う)。

どう違うのか?

ジョイント・テナントで登記した場合、共有者の片方が死んだ場合、その人の持分は相続人に行くのではなく(自動的に)残されたもう片方のところに行く。これは相続よりも優先される。また、相続の手続きよりも簡単に(100%の権利が)残された人のものとなる。税務上の処置も、その時点では何もない。

別名「サバイバルシップ」と云われるように、まさしくサバイバー(生き残った人)のものとなる訳だ。配偶者が死んだ時、煩雑な手続きや相続調停をしなくても残された人のものとなる。連れ合いに先立たれ、悄然、寂寥に浸る間もなく(資産保全のための)骨肉相克の争いに巻き込まれないかという危惧も解消する。

もともと、夫婦二人が額に汗して築き上げた財産だ。二人のうち片方が死ねば残された人のものになるのが当然の筈だ。それが、たとえ我が子・親戚とはいへ、配偶者が死んで途方に暮れているその時に、身を削って財産の一部を分け与えなければならないというのは、すこぶる理不尽な話だ。ジョイント・テナントにしておくと、そういった心配もせずに居られる。

ジョイント・テナントは、その性格上「持分比率」登記というものがない。「二人で共有」だけで十分だからである。

しかし、他人同士が不動産を共有で登記する場合、片方が死んだからといって、その持分が相続人に行かず、全くのアカの他人のものになってしまうというのは問題だ。そこで、こういう場合には、日本での共有名義と同じ意味合いを持つ「テナント・イン・コモン」で登記する。こうすれば、死んだ人の持分は相続人のところへ行く。出資比率に応じた「持分比率」を明記して登記する事も出来る。

そんな訳で、夫婦間で共有する場合、カナダではほとんどがジョイント・テナントの方で登記される。が、注意しなければならない事がある。カナダと日本の税法の違いだ。同じ事をしてカナダでは問題がなくとも、日本では贈与税の対象となってしまう事がある。

もともと贈与税も相続税もないカナダと違って、夫婦間・親子間の金の遣り取りであっても、シビアに目を光らせているのが日本の税務署だ。もし、将来、不動産を売った金を日本に移す(特に"戻す"場合には)予定がある人は、日本式に「実際に金を出した人」「金の出所を追及されても困らない人」だけの名義で登記しておくのが無難だろう。

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<足が震った話>

ダウンタウンから車で20〜30分ほどウィスラー方面に車を走らせると、山間にホーシューベイと呼ばれる小さな港がある。バンクーバーアイランドのナナイモへ渡るフェリー乗船場として有名だ。この港の目と鼻の先にあるのが、ボウエンアイランドという周囲十数キロの小さな島だ。ホーシューベイから小さな船に乗って15分で行ける。ダウンタウンから30分のローカルのスキー場サイプレスの山頂から望むボウエンアイランドの美しさに、暫し茫然と佇むスキーヤーも多い。

Nさんは東京で著名なインテリアデザイナーとして活躍されていたが、バンクーバーの自然に魅せられ、退職後は家族と共にノースバンクーバーに移住されていた。そのNさんが次の楽園として選んだのが、このボウエンアイランドだ。

離れ小島の事で普段の私の行動範囲外である。下調べをする間もなく、いくつかのアポを取り、Nさんと共に視察に出かけた。何件目かの家に入った途端、Nさんは瞠目したまま声を失った。思わず嘆声を漏らした。あとはもう落ち着かない。無口になり、私の問い掛けにもウワの空だ。

外に出ると、Nさんは堰を切ったようにこう云った。「横山さん、今すぐオファーを出して下さい」「足が震うとはこの事だ」「今も震えが止まらない」「何としてもこの家を手に入れたい」私はあわてて(まさか様子見で出かけた初日に、いきなりオファーするとは思っても居ず)カバンから書類を取り出し、震える足ならぬ震える手でNさんにサインしてもらった。幸いオファーは受け入れられた。私もまた安堵の色を隠せなかった。これで買えなかったらどうしようかと思っていた。

家を買う決断というのは、大きな金の対価として相応しいかどうか考える作業でもあるので、冷静に、多角的に検討しなければならない。しかし、自分が46時中過ごす場所でもあるので、好みに合うかどうかが、ある意味一番大きな要素でもある。満足度そのものだからだ。

家の好みというのは、ロジックな思考の末にではなく、直裁的な感覚で決まる事が多い。しかし、当人にとって衝撃的なショックであっても、他人から見れば左程でもないという事もある。それでも当事者とってはそれが「運命的邂逅」であり、実際、そのような家を買った場合、後で後悔する事があまりない。(ただし”飽きる”という事はある。実はNさんも、その6、7年後に引っ越している)夫婦・配偶者の選び方にも似たところがある。簡単に換えられないという点では、この限りではないのだが。

この事があって以来、我が家ではこの言葉を発するのが流行った。いや定着してしまった。凄い家を見ると「わっ、足が震うぅ..」と、やたら乱発するのだ。

最後に..Nさんが足を震わせたのはこの家です。

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